古いものを使いながら生かす。リビング・へリテージという考え方があります。

  • 2014年4月20日
  • 2020年12月25日
  • JO対談

カサイアーキテクチュラルデザイン 代表 笠井三義さん

江森:笠井さんが取り組んでおられる「建築物の保存問題」について聞かせてください。

笠井:ここ30年ぐらいで、まだまだ使える建物が壊されることが多くなって来ています。ひどい話になると築20年足らずの立派なビルが壊されてしまう。そういう風潮に一石を投じるというか、何もただ古い建物を遺しましょうということだけではなくて、無駄なことはやめて使えるものは有効に活用しましょうという提言活動をしています。

江森:具体的にはどのような活動になりますか。

笠井:私が所属している(公社)日本建築家協会関東甲信越支部の保存問題委員会では、建物の所有者にその建物の価値を知って頂くために、「保存要望書」というものを出しています。私たちは建物というのは「社会資本」であると考えているんです。もちろん所有者が全権を持っているわけですが、街のランドマークになっていたり、人々の思い出の場所になっていたりと、建物が社会的に担っている役割も大きいと思うんですね。

江森:横浜にも保存要望書を出している建物がありますか。

笠井:もちろんです。例えば横浜海岸教会であったり、あるいは三吉小学校。ここは関東大震災の復興小学校として37校建設したうちのひとつですが、震災直後の建物とあって耐震・耐火性能に優れていて、今でも若干の補強をすれば、ほぼ問題なく使えたはずなのです。

江森:旧三吉小学校というと、その後横浜市大の医学部も使っていた校舎ですね。最近ついに解体されてしまいました。

笠井:そうなんです。実際には保存要望書を出してもうまくいかない、つまり壊されてしまうケースがほとんどです。特に横浜は江戸末期の開港によってできた街で、赤レンガ倉庫なんて一番古い方ですが、それでもせいぜい百年ぐらいです。普通はお城とか、お寺とかもっと古い建物がありますから、建物のほとんどが百年未満という街は珍しいのです。それだけに解体の案件も多いんですよ。

江森:そうなんですか、それは意外ですね。

笠井:そういうこともあって、4、5人の仲間と一緒に横浜の歴史的建築を調べて「横浜近代建築」という本を出版しました。この本にも載っていますが、約30年前に調査したときに横浜に90棟ぐらいあった歴史的な建物が、この30年間で57パーセントが取り壊されてしまいました。

江森:えっ!そんなに。

笠井:そうです。私たちは何が何でもレトロがいいなどと言っているのではなく、リニューアルしながらでも遺して使っていくことで、街の「厚み」とでもいいましょうか、文化が醸成されていくのではないかと考えているのです。そのような考え方を「リビング・へリテージ」といいますが、歴史的な遺産をガラスの箱に入れて飾っておくのではなく、使いながら遺していくという考え方ですね。

 ヨーロッパなどでは古い街は極力手をつけませんよね。ドイツでは戦災で壊滅してしまった市街地をすべて昔の通りに復元した街があるほどです。一方でロンドンのカナリー・ワーフやパリのラ・デファンスのように、新しい建物を建てると決めた地域には近代的な超高層が立ち並ぶといったようなこともする。日本にもそうした考え方があっても良いのではないかと思いますね。

江森:建築家という職業はまさに建物を設計するというところにあるわけですから、新しい建物がどんどん建った方が商売としてはいいような気がするのですが、建築家の皆さんが「保存」を推進するのはどうしてなのでしょうか。

笠井:例えばウィーンなんていう街は絶対に新しい建物を建ててはいけない地区というのが厳然とあるわけですが、そこにも建築家はいるのです。制約が多いがゆえに「私はインテリアしかやらない」といったように逆に先鋭化されてきて、自分が得意な分野を伸ばしていける環境ができています。

 これは考え方次第で、大きなビルを建てることが喜びという建築家もいれば、ドア1枚にこだわって突き詰めていく建築家もいるし、古い建物をいかに上手く活用するか、もっというとをいくら作ったって仕方ないでしょと考える建築家もいるということですよね。

江森:安易に新築を選んでしまうというのは、建物の所有者の社会的責任というか、「社会資本の持ち主」としての自覚が足りないということでしょうか。

笠井:それもありますが、最も問題なのは法律がコロコロ変わってしまうということでしょう。例えばオリンピックが来るからここの土地の容積率を倍にしましょうとかいうことを簡単にやってしまう。そうなれば所有者は当然大きいものを建てたくなりますよね。日本の政府は長い目で都市計画を考えずに、目先の利益や人気取りのために場当たり的に「特区」を作ってしまう。そのことが問題の根本にあると思いますね。

横浜らしい雰囲気を醸し出す、中区吉田町の「吉田町ビル」。

 横浜には震災復興建築と並んで戦災復興建築というのも多数遺っているのですが、目の前にある吉田町ビル(写真右)もそうですが、戦後米軍の接収が終わった頃から横浜市の都市計画に沿って、土地の所有者たちが共同で建てたものなのです。1階が店舗、2階が事務所、3、4階が住居を基本構造とする4階建ての耐火建築のビルが街区を囲うように建っていて、火災の際に延焼を防ぐ役割も果たしています。1階は天井高が高いので、最近はおしゃれなバーなどが入居して街の雰囲気づくりにも一役買っています。

 このような戦災復興建築はまだ200棟ほど残っていますが、これも法律が変わることによって取り壊されてしまう可能性もあります。

江森:吉田町が変わってしまうのは個人的にはとても困りますね(笑)。

笠井:法律さえ変わらなければ今のままでやっていくしかないので、なんとかデザインを工夫して、まさに宝石をはめるがごとくにリニューアルしていけば、東京とも他のどの街とも違う横浜らしい街並みが維持できると思います。

江森:私が心配していることのひとつに、最近みなとみらい地区にできている高層マンションが、50年後、100年後にどうなってしまうのかということがあります。壊すにしても建て替えるにしても大変なことだと思うのですが…

笠井:技術的には何ら問題はないと思いますが、問題は住民でしょうね。高層マンションの上層階というのはいわゆる「億ション」でしょ。でも当然40階があれば2階も3階もあるわけで、上の人は余裕があるけど、下の人はローン地獄でとても建て替えなんて無理、ということは起こりえますよね。

江森:それで結局ゴーストタウンみたいなことにならなきゃいいけど…とか余計な心配をしてしまいます(笑)。

笠井:集合住宅というのは、様々な年齢層、所得層の人たちがひとつの建物に一緒に住んでいるわけですから、それを「街」として評価していかないといけないのだと思います。北欧などでは、共用のリビングスペースがあったり、食事の支度が当番制であったりと、多様な年齢層、多様な境遇の人たちが互いに助け合って暮らす集合住宅のスタイルが確立しています。そういうところはまだまだ日本は未成熟なのかなと思いますね。

笠井さんの仕事場がある「都南ビル」。
昭和3年に建設され、都南貯蓄銀行、静岡中央銀行など
代々銀行が入居していた。

江森:住む人、造る人、両方に問題がありそうですね。

笠井:建築家というのは学者ではないので、依頼されたことに対して一生懸命図面を引くのが仕事ではあるのですが、集合住宅の問題しかり、保存問題にしても、何かおかしいなあと感じることは多々あるのです。

 しかし、特に姉歯事件以後は確認申請の書類が膨大な量になってしまって、その土地の風土や住む人のライフスタイルに合わせた建築をしていく上では、施主にも設計者にも負担が大きくなっているのは否めません。それに比べて工場で検査を通ったユニットを組み合わせて建てるハウスメーカーの家は、1回の申請で大量生産できますから、効率という面ではかないませんね。

江森:それで、全国どこに行っても同じ家、同じ風景ということになってしまうのですね。あれはいただけません。

笠井:近隣との調和とか、風の流れとか、ハウスメーカーはいちいちそんなことまで考慮してられませんからね(笑)。

 少しずつではあっても、おかしいなと思ったことに対して、自分の仕事を通じて、何ができるかということを、これからも考えていきたいと思っています。

江森:まさに建築家としての社会的責任(CSR)ですね。今日はとても貴重なお話をありがとうございました。

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